江の御霊屋を護る寺 ―― 最勝院


増上寺地図(風呂敷)
江戸時代の増上寺を記した地図。
最勝院は南東の角に位置し、増上寺境内と接する位置にある。
最勝院本尊
最勝院本尊、阿弥陀如来像。平成21年に妙定院より遷座された阿弥陀三尊像。

 最勝院は寛永3年(1626年)9月15日に亡くなった二代将軍徳川秀忠の正室である江(ごう)の方(戒名 崇源院殿和興仁清大禅定尼・すうげんいんでん わこうじんせい だいぜんじょうに)の位牌を祀る建物(御霊屋・おたまや)を護る別当として増上寺境内に創建されたお寺です。大きなお寺の中に建てられた子院や塔頭(たっちゅう)と呼ばれるお寺で、創建当初は最勝軒といい、天神谷(現在の日比谷通り芝公園グランド交差点辺り)にありましたが、明治19年現在地に移っています。そして、昭和27年に増上寺から独立、最勝院という一つのお寺(宗教法人)になりました。
 このようにもともと最勝院は増上寺でしたから本尊は増上寺の本尊ですが、平成21年からは同じ増上寺の山内寺院である妙定院から遷座された阿弥陀三尊を本尊として祀っています。

今も残る江(崇源院)の御霊屋


 徳川家康が天下を治め、秀忠、家光の時代となりようやく落ち着き始めた頃、徳川家の身内として最初に逝去したのが江でした。江が亡くなった時の将軍はお江の長男である家光(徳川三代将軍)、そして江の夫である秀忠(徳川二代将軍)が大御所となっていた時代で、その葬儀は日本国中の諸大名に徳川幕府の権威を見せつけるために大変立派に行われました。そしてまた、その江の位牌を祀る建物(御霊屋)も増上寺の境内に建てられ、それは立派なものでした。その建物は現在の増上寺とプリンスホテルと境界地あたりに建てられましたが、およそ20年後(1648年)に家光がより立派な建物に建て替えました。

 しかし、創建当時の御霊屋が立派だったこともあり、この御霊屋と二つの門は壊されることなく、鎌倉の禅宗寺院に移築され現在も残っているのです。日本最初の禅寺は鎌倉にある臨済宗建長寺派の大本山建長寺ですが、その本尊を祀る仏殿という建物が芝増上寺から移築された江の御霊屋なのです。いかに江のための建造物が立派で大切にされてきたかがわかります。ちなみにその仏殿は神奈川県の重要文化財に指定されています。

建長寺仏殿
北鎌倉の臨済宗建長寺。本尊を祀る仏殿は、芝増上寺から移築されたお江の御霊屋だ。

最勝院に残る宝物


 また、創建当時の最勝院の絵図が残っていますが、山内寺院だった最勝院には本尊が祀られることはなく、御内仏だけでしたので、大きな本堂はありませんでした。その絵図を見ると、最勝院で広い部屋といえば広い順に台所、築庭を眺められる和室、そして玄関でした。つまり、増上寺で行われるお江供養の法要に参詣する秀忠や家光が法要前後に立ち寄り、着替えたり精進落とし(会食)をしたのが、ここ最勝院だったのです。ですから、葵の紋の入った漆器やおひつ、茶器などが残っています。

 そして、こうした徳川家ならではの葵の紋の入った品々のほか、江の念持仏、位牌(繰り出し)、供養納経重箱、家康から江へ贈られた松の盆栽の由来を記した掛け軸、家光直筆の墨絵、小堀遠州の掛け軸などが残っています。

 最勝院は関東大震災と太平洋戦争で被災した上に昭和54年にも隣接していた米屋からのもらい火で焼失しています。ですが、幸いにもこうした寺宝が今に伝わっているのは仏の加護と考えるしかありません。江に関わる寺宝などが江戸東京博物館で展示(平成23年秋と24年春)されました。

最勝院絵図
古地図をもとに書き直したもので、各部屋に外光が入るように中庭が配置されている。玄関や台所が広く、築庭を楽しめる和室が最も広い部屋になっている。

最勝院と吉川英治


最勝院の笹
作家の吉村英治が最勝院を借りて住んでいたときに植えられたとされる笹が残っている。

 江の供養のために建てられた最勝院ですが、昭和に入ってからのこんな話もあります。それは昭和6年から同10年6月まで作家の吉川英治氏が最勝院を丸ごと借りていたことです。当時の最勝院は現在の三倍ぐらいの広さで、二百余坪の境内には池もありました。当時の最勝院住職は最勝院のほかに増上寺三門右前にあった佛心院(増上寺境内から青森にその遺構が残され、佛心院という寺名が残されています)などの住職をしており、最勝院を丸ごと借家にしていました。この芝公園時代のことを吉川英治さんはエッセイの中で書いています。近所の子供がつかまえたカジカを池に放ったり、庭に六分の一のスケールの茶室を建てたりしていたようです。

 当時書生だった方にかつてお話を聞きましたが、現在お寺の前に植えられていた笹は吉川さんが植えた笹が残ったものでしょうとのことでした。そして、この浄土宗の最勝院に住んでいた時に浄土真宗の宗祖『親鸞』を書かれています。また、昭和10年8月から新聞連載され吉川さんの代表作となった『宮本武蔵』の構想もこの最勝院で練っていたようです。

マンションと一体化した最勝院


最勝院外観
最勝院は平成18年より10階建てのマンションとなっている。寺院は地階と最上階になる。
最勝院入口
地階となる最勝院本堂へ降りる階段が入り口となっている。

 こうした歴史を持つ最勝院は徳川の庇護を無くした明治以降、多くの檀家を持つこともなく、戦後には境内地を切り売りするなどして現在に至っています。かつておよそ50か寺あった増上寺の山内寺院ですが、現在はおよそ30か寺になっています。徳川の庇護を受けていた増上寺は明治維新により、寺院としての存続基盤を大きく揺るがされました。その中で多くの山内寺院が廃寺や移転をしたのは無理ないことでした。そうした厳しい時代をなんとか最勝院は乗り越えてきました。

 そして、平成18年には境内地にビルを建て、地階と最上階を寺院とする賃貸マンションビルになりました。外観からはお寺らしさは残っていません。

 また、普段の参拝や寺宝公開はされていませんが、NHK大河ドラマ「江」の放送をきっかけに平成23年江の命日9月15日から4日間、寺宝が最勝院で公開されました。

最勝院内陣
地下1階にある最勝院内陣。
最勝院念持堂
最勝院10階にある念持堂。
本山の増上寺と東京タワーが一望できる。

寺宝


法然上人絵像(忍海箪) 当麻曼荼羅 香炉 掛け軸 漆器 楽器など

【江ゆかりの品】
念持仏 重箱 徳川家康縁・鉢植えの松の絵 徳川家光筆・梅の絵

 

【付録】徳川将軍正室一覧

将軍(夫) 姫号(通称) 法号(戒名) 墓所
初代 家康 築山殿 西光院 静岡 西来院
朝日姫 南明院 京都 東福寺内 南明院
二代 秀忠 崇源院 三縁山 別当 最勝院
三代 家光 孝子 本理院 小石川 傳通院
四代 家綱 浅宮 高巌院 東叡山 別当 春性院
五代 綱吉 従姫 浄光院 東叡山 別当 観成院
六代 家宣 熙子 天英院 三縁山 別当 最勝院
七代 家継 八十宮 浄琳院 京都 知恩院
八代 吉宗 真宮 寛徳院 池上 本門寺
九代 家重 比宮 証明院 東叡山 別当 春性院
十代 家治 五十宮 心観院 東叡山 別当 春性院
十一代 家斉 篤姫 広大院 三縁山 別当 最勝院
十二代 家慶 楽宮 浄観院 東叡山 別当 春性院
十三代 家定 有君 天親院 増上寺
壽明姫 澄心院 東叡山
篤姫 天璋院 東叡山
十四代 家茂 和宮 静寛院宮 増上寺
十五代 慶喜 延姫 貞粛院 東叡山